日本の釣り文化において、キャスティングリールが普及していった経緯は、欧米のそれとは違います。今回は日本の投げ釣り、ぶっ込み釣り、といった "投げること"に重きを置くリールついてのお話です。
日本の釣りで最初に使われたリールは、中国伝来の釣車(いわゆる台湾リール)にはじまり、それが各地で改良され、木駒と呼ばれる木製リールへと進化していきました。そのどれもがセンターピン(片軸受式)構造のものです。いつの頃からか木駒を投げ釣りで使う釣り人が出始めました。
画像は昭和30年(1955年)頃。大磯海岸で投げ釣りを楽しむ家族の写真です。そのタックルに注目してみると、丸竹竿に木製のセンターピンリールがセットされています。
これは当時の湘南地域独特の投げ釣りスタイルで、キャスティングに使われたリールは、大磯の "みとめ屋" という釣具店の店主が考案した "
大磯式木製リール " と呼ばれるものです。
従来の木製リール(真鍮製の軸受)に、ボールベアリングを換装して回転性能を上げ、遠投しやすいようにスプール径を従来品より大型化したものでした。大磯式木製リールは、昭和初期(1926年頃)に考案されたもので、戦後復興を経て、30年近く湘南地方の釣り人のマストアイテムとして使われてきました。
大磯式リールは、ロッドにアッパーマウントにセットします。キャスティングの制御は "親指" を使うのが流儀とされていて、文字通りサミングでキャストコントロールをするわけです。いわば和製ベイトキャスティングリールといったところでしょうか。
スプールの回転が良くなればキャスティングの飛距離は伸びますが、ブレーキをかけないとバックラッシュします。当時、大磯式木製リールで釣りをするには、丸1日のキャスト練習が必要だったといわれています。熟練者は50m〜70mの飛距離のキャストができたそうです。
この大磯式リールは全国的に有名になり、かの植野善雄氏(オリムピック釣具創業者)も大磯式には一目を置いていたようで、みとめ屋に直接話を聞きに訪れたと言われています。西湘の小田原では、大磯式よりスプール径を大きくした " 小田原式リール " という派生種も登場しました。
大磯式リールのデザインをベースに、金属製や樹脂製の派生リールが次々と登場し、横転式などのセンターピンタイプの発展型リールも国内で作られるようになりました。湘南〜西湘の投げ釣りスタイルが全国的なブームとなっていったわけです。
戦後しばらくはセンターピンリールの独壇場でした。スピニングリールは高価だったため、昭和30年代までは大磯海岸の家族写真のように木製リールや横転式リールが多く使われました。
さて、こちらも大磯海岸の写真です。少女のタックルに注目してみると…スピニングタックルを使っています。年代的には昭和30年代後期(1960年〜1964年)です。
この頃になると海岸には、木製リールや横転式リールを使う釣り人と、スピニングリールを使う釣り人が混在しました。つまりスピニングリールが普及していく過渡期であったわけです。裕福な家庭で育っていそうな少女のタックルは輸入品です。スプリットバンブーロッドにCompacのスピニングリールが組み合わされています。
Compac SIERRA IV
画像は、米国カリフォルニア州の釣具商社 コマースパシフィック社のスピニングリールです。今回は、スピニングタックルの少女の写真にちなんで、Compac SierraIV を取り上げてみました。
リールフットにはJAPANの文字…。これは日本のオリムピック釣具がコマースパシフィックにOEM提供していたスピニングリールです。写真の少女が使っていたリールもCompacブランドのリールです。おそらくSierra IVと兄弟モデルのBantamだと思われます。
1950年代のCompacスピニングリールは、ほぼオリムピックのOEMで賄われていました。カタログ画像に載っているリールは、どこかで見たことがあるようなカタチばかりですが…w 1950年代の北米のスピニングリールブームでは、これらがじつに良く売れたそうです。Compacリールの一部のモデルは日本国内でもオリムピック釣具から販売されました。
Compac Sierra IV や Bantam などのリールは、北米では安価なエントリーモデルの位置づけでした。今でいうところの、ZebcoやShakespeareのキャラクターリールのようなかんじでしょうか…。Olympic81のようなハイエンドモデルもあれば、Sierraのようなエントリーモデルもあったりと、多種多様なスピニングリール需要に対応していたわけです。
Sierra IVは構造もいたってシンプルです。メインギアなんて樹脂製ですw その割にはギア欠けなどは無いし巻き上げもスムーズです。たまたま、この個体の状態が良かったのかな…?
1950年代〜60年代(昭和30年代)にかけて、こういった廉価モデルの登場により、日本の投げ釣り(ぶっ込み釣り)にもスピニングリールが徐々に普及し始めていきました。
ここまでで、お気づきでしょうか…。
冒頭で書いた、日本のキャスティングリールの普及は、センターピンリールの " 大磯式木製リール " に始まり、その派生の"横転式リール"を経て、次に "スピニングリール" に移行していったのです。続いて両軸受構造の海釣用 "マルチプライングリール(コンベンショナルリール)" が磯の大物釣りで使われるようになり、"ベイトキャスティングリール" にいたっては、第一次ルアーフィッシングブームの1970年代中頃にようやく国産品が売られるようになり、普及しはじめたといった感じでした。
米国のそれとはまったく違う流れですね。米国では、内陸のバス釣り用に考案された、ケンタッキー系 "ベイトキャスティングリール" に始まり、その派生として海に面した地域で発展していったニューヨーク系 "サーフキャスティングリール(コンベンショナルリール)"、そして欧州伝来の "スピニングリール" …といった流れで普及していったのです。
投げること(キャスティング)に特化したリール普及の変遷をまとめるとこうなります。
米国:ベイトキャスティング → コンベンショナル → スピニング
日本:センターピン → スピニング → コンベンショナル → ベイトキャスティング
日本と米国で、リール普及の順番が真逆になっているところが面白い点です。もちろん詳細を突き詰めていけば、例外や細かな派生があったりはしますが、概ねこの流れになっています。日本のキャスティングリールが、"センターピン" から "スピニング" へと発展していったのは、欧州の釣り文化に近いといえます。
補足として…米国では、センターピンリールがキャスティングに使われることはなく、一般的にはフライフィッシング用と認知されていました。日本の場合は、両軸受構造のフィッシュオリムピックリールがキャスティングに使われることはなく、一般的には糸巻器として使われていました。
時代の差はあれど…日本と米国の釣文化の違いがじつに興味深いです…。今回のリールの話に関連して、" 長竿文化 " と "短竿文化 "についても、いつかブログ記事にしたいと思っています。
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