フィッシュオリムピックのお手本 ~ Shakespeare 1905 DEUCE ~

Fishbone

2022年04月16日 22:50



SHAKESPEARE 1905 DEUCE
Model HG


日本の黎明期の金属製リールの代表といえば、植野リール製作所の "フィッシュオリムピックリール" です。そのオリムピックリールの設計に多大なる影響を与えたリールは 米国製 Shakespeare 1905 DEUCE。今回は 1905 DEUCEとオリムピックリールのお話です。



SHAKESPEARE 1905 DEUCE Model HG
画像のShakespeare 1905 DEUCEは1934年製。初期設計の戦前モデルです。偶然入手したものですが、これが植野オリムピックリール誕生のきっかけとなったものです。実際にオリムピックリールと比較しながら共通点などを掘り下げていこうと思います。



画像左がShakespeare 1905 DEUCE 右がオリムピックリール。このふたつは一見すると、それほど似ているようには思えませんが、内部構造をよく見比べると、なるほど…と思う共通点がいくつもあります。



Shakespeare 1905 DEUCE は、昭和初期の日本にも輸入されていました。当時の日本ではリールを使った釣りじたいが草分け的なもので、リールという呼称も一般的ではなく「釣車」や「車竿」と呼ばれ、ごく一部の限られた釣り人に使われていました。その釣り人のひとりが "中西秀彦氏" です。のちにオリムピックリールの技術顧問になった人物で、昭和18年に「リール竿釣の研究」という著書を発行するなど、当時のリール竿釣りのパイオニア的存在でした。



オリムピック釣具創業者の植野善雄氏が "植野リール製作所" として本格的にリール製造をはじめたのは昭和10年(1935年)。米国のベイトキャスティングリールを参考に開発されたのがオリムピックリールです。

先立って昭和7年から販売していた " 犬印リール " は、オリムピックリールの原型であり、植野氏考案のリールには違いないのですが、製造は川窪工業所が担っていたので、植野純正リールではないともいえます。

植野リール製作所として、リール製造を本格的にスタートする昭和10年には、犬印リールの製造は終了しました。その時点で植野氏は犬印リールからは手を引いたようです。なので、植野純正リール第一号は "オリムピックリール" といっても差支えないと思います。


※画像は分解してパーツを並べた Shakespeare 1905 DEUCE Model HG

オリムピックリール誕生のきっかけは、昭和3年(1928年)。植野製の竿受(ロッドホルダー)を無くしてしまった中西氏が、同じ物を買い求めようと、植野オール金属製作所に訪れたことに端を発します。「もし日本でもこんなものが作れたらね…」と出してみせたのが、使い古された米国製リール(Shakespeare 1905 DEUCE)でした。

その金属製の玩具のようなものが、植野善雄氏とリールの初めての出会いとされています。植野氏は(中西氏から借り受けた)DEUCEをリバースエンジニアリングし、その構造を図面に書き起こしました。その図面をもとに設計されたのが犬印リールです。

昭和10年(1935年)。植野氏は中西氏とともに、犬印リールの進化型となる最新リールの開発に没頭しました。そして翌年昭和11年にフィッシュオリムピックリール第一号機が販売開始されたのでした。


※画像は分解してパーツを並べた Olympic 300 普及型

初期のオリムピックリールは釣具問屋は介さず、小売店に直接出向いてリールを卸していたようです。中西氏は、自身が経営する薬店(中西屋薬店)で、フィッシュオリムピックリールの販売代理店としてリールを販売していました。




さて、Shakespeare 1905 DEUCE。ぼくが所有するDEUCEは Model HG で1934年製です。" HG " この2文字のアルファベットはShakespeareリールの製造年を特定するためのモデルコード(識別子)です。



画像は Shakespeareのモデルコードを読み解くための数字とアルファベットの相対表です。H = 3 , G = 4 で 34。1934年製造と読み取ります。このモデルコードは Shakespeareリールのリールフットやサイドプレートに刻印されました。中にはアルファベット3文字のパターンもあって、それは製造月まで特定できるものでした。これらの仕様は1977年以降は廃止されました。

オリムピックリールのお手本となった中西氏のDEUCEは、1928年以前に日本に輸入された初期型です。今回ブログで紹介したDEUCEは、中西氏のものより年式が新しい(1934年製)ですが、初期型のパーツ仕様で組まれたリールなので構造は同じです。

中古品流通が最も多い1945年以降の戦後モデルは、スプールシャフトエンドキャップの追加や、リールフット保持構造が変更された、まったくの別物です。ぼくが過去記事で、似ても似つかない…と書いたのは、戦後モデルを比較していたからですねw





それでは、DEUCE Model HG とオリムピックリールを比較していきます。オリムピックリールの詳細は過去記事をご覧ください。

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オリムピックリールがDEUCEの影響を受けた部位は、サイドプレートにはめ込む構造のリールフット。オリムピックリール初期仕様は、DEUCEと同じ2点ツメのはめ込み式が採用されました。フットピラーはオリムピックリールにはありません。上位モデルの300stopでは、片側4点ツメのはめ込みになりリールフット保持強度を増しています。



スプールシャフトの軸受(メタルブッシング)がサイドプレートと一体成形で、エンドキャップが無い仕様もオリムピックリールに受け継がれています。これはDEUCE初期型の特徴でもある構造です。



左サイドプレートにピラーがカシメ固定され、右サイドプレートがネジ止め式なのも共通しています。



DEUCEは、ケンタッキー系ベイトキャスティングリールの定番ギア比 Quadruple (4 :1)を採用していますが、オリムピックリールは、増速ギア無しのシンプルなシングルアクション(1 : 1)リールとして設計されました。



オリムピックリールにはレベルワインダーもありません。シングルアクションリールとして設計されたものなので、構造上レベルワインド機構は省略されたのでしょう。

余談ですが…中西氏の著書「リール竿釣の研究」には、DEUCEの手描きスケッチが載せられています。初期型DEUCEの特徴をよく捉えたスケッチなのですが、その絵にはレベルワインダーが付いていないのです。中西氏所有のDEUCEはレベルワインドパーツが欠損していて、植野氏に手渡した個体にはレベルワインダーが無かったとも考えられます。

何にしても、オリムピックリールのパーツ仕様が(DEUCEに比べ)簡素化されたのは、製造コストを抑えるためだと思われます。また、リールという道具がほとんど認知されていなかった時代なので、あえてシンプルな糸巻器として開発したのかもしれません。

シンプルといっても、けっして劣化品ではなく、精度の高いプレス加工真鍮パーツに、当時としては珍しい質の高いクロムメッキが施されていました。



さらにオリムピックリールは、マイナーチェンジの度に、DEUCEには無い、植野リール独自の改良や機能が盛り込まれていきました。スプールストッパーや道糸の乾燥のためのケージ型スプールデザインなどです。それでいて安価な価格設定。オリムピックリールがあっという間に人気を博していったことにもうなずけます。

米国製のベイトキャスティングリールを手本にして、日本の釣りに最適化され、開発されたオリムピックリール。当時の釣り人の目にはどう映ったのでしょうね。



1936年(昭和11年)に販売が開始されたフィッシュオリムピックリールは、不運にも太平洋戦争でリールの製造中断を余儀なくされ、本格的な製造・販売の再開とオリムピックリールの一般普及は戦後になってからでした。




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